中二病

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http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110825

はなこさんに「壁に露を打ちたいのか?」と問われ、深く感じ入った。


花に露を打つのは花に露を打つ為だ。
壁に露が付くのは、花に露が打たれた余波に過ぎない。
されどなぜ濡れた土壁に心惹かれるのか。
土壁を濡らそう、というのはケレンであって、余計な心だ。


私は穏健で中庸なおだやかな茶人を目指していると思っていたのだが、どうもそうでないのかもしれない。

もっと中二病的な、邪気眼的な、そんなお茶が好きなのかもしれない。



だが茶の湯の、歴史に残る趣向は、むしろ中二病的なものではなかったか?


庭の朝顔を全部摘んだり。

銅鑼のかわりに火縄銃を使ったり。

蒲鉾が出たら帰っちゃったり。

炉壇が熱くなかったら帰っちゃったり。



喜三衛門井戸なんて

「が・・・あ・・・離れろ・・・腫物ができたくなかったら早くこの茶碗から離れろ!!」

邪気眼的な感じだし、片身替とヘテロクロミアには相通ずるものがあるかもしれない。

そもそも銘を付ける、という行為自体が中二くさい。


もしかするとお茶人は中二の心を忘れてはいけないのかもしれない。


…でも、大寄せで順番抜かしをする奴と、正客譲りあいをする奴は中二以下の存在なので、「漆黒の風」バルムンクフェザリオンのヘルズファキナウェイでも食らえばいいのに。