箱と箱書き
茶杓は、慶長年代あたりまであんまり大事にされていなかったんじゃないか、という話を昨日書いた。
論拠の無い印象だけだけど。
でも。
考えてみると、道具に箱を付ける、という行為自体、慶長年代あたりまであんまり盛んじゃなかったのかもとか思いはじめた。
いくつかの美術館で、箱や挽家を展示しているのに出くわす。
そういった場合、ほぼ例外なく一番内側は遠州の箱や挽家である。
利休や織部の時代の箱ってのを、あんまりにも見ない。
収納を考えたら箱にはいってなかったはずはないのだが。
遠州の時代に、箱を作り直すというのが大流行したんじゃなかろうか?
んで道具をさほど大事にしなかった織部の時代の余波で、古い箱も大事にせずに作りなおしちゃったんじゃないんだろうか?
ま、論拠の無い印象だけだけど。