亂世と茶道3 茶道のおこり
桑田先生の考える侘び茶のおこり。
このような書院かざりの座敷で茶事を催すには、床の間がある關係から、闘茶會の點茶法ではふさわしくない。そこで、佛事の献茶式用の臺子を用いてお茶をたてる。
臺子に茶器をかざる臺子かざりの方式も、能阿彌が工夫した。
まず、台子の茶は闘茶から発展した、という論法。
ところが、同じ東山時代に奈良出身の珠光という茶人が京都にのぼり、新らしい様式の茶事を指導した。
さらっと珠光が登場する。しかし、珠光のバックボーンについては語られない。
現代だと、市井にも豊かな茶の文化があって、そこから侘び茶は発展したんだ…とかなるところだが、そういう話はでてこない。
ということは、論理的には「珠光も闘茶から侘び茶を工夫した」という事になってしまうのだが…。
一休の弟子筋で、闘茶もやっている坊主ではあんまりにも生臭すぎないか?