亂世と茶道4 仏教と茶事

まず、茶室の床の間は佛の存在を象徴する。
元來は佛像を安置すべきであるが、禪宗では偶像というものを無視する關係から、悟道に達した名僧の墨蹟を掛ける。
これは、珠光が大徳寺の一休和尚に参禪して、印加の證として授けられた圓悟禪師の墨蹟を掛幅として床の間に掛けたのに始まる。

桑田先生の考える床は、仏に捧げる為にある。
そして、禅宗ゆえに、仏像でなく墨跡を掛けた。

…ということらしいのだが。

二つの点でおかしい。


まず、禅宗以外の茶の湯を無視している事。

京都は法華宗も多くいたろう。本願寺の下間丹後あたりが禅宗なはずもない。


次に、初期茶道で床に飾ったのは墨跡だけではない、という事を無視している事。

絵や茶入や香炉を飾っていたのを説明できないじゃないか。


おそらく当時でも少し調べれば判ることなのに、こんな事を書いているという事は、
桑田先生はちゃんと歴史を調べずに、伝承をひけらかしていただけ、という事になりはしないだろうか?