亂世と茶道5 連歌と茶道

鎌倉末期に宋より渡來し、南北朝時代を經過して、室町の中期にかけて流行した舶載の新興遊藝である闘茶が、この古來傳統の文藝であるところの連歌の影響を受けて次第に變貌したことは、當然の成行きであったといえよう。
かりに、闘茶渡來以前にわが國に歌合せや連歌會の如き高尚風雅な遊藝が存在しなかったならば、闘茶は單なる一時的な唐來珍奇な遊藝として、程なくすたれてしまったことと思う。
それが、日本化して茶湯とよばれて普及し、更に茶道と稱する高雅な藝道として大成されたのも、古くから歌道があり、歌合せや連歌が日本人の教養として生活に結びついていたためであった。

闘茶は、連歌の影響を受けて変貌し、茶の湯となった、という世界観。

昔の自分ならば、この話で納得できたと思う。…でも、今はどうかな?

闘茶は、あくまでも闘って勝敗を付けるのがキモであって、そこに勝敗を排して仲良くお茶を飲もう、という茶の湯ムーブメントが生まれた、というのはとても考えづらい。

サッカーがフィギアスケートの影響を受けて、美しいポーズでパスをすると採点されるような競技になる、なんて事はない。サッカーがフィギアスケートの影響を受けたら、アイスホッケーになるはずだ。キモの部分を外す進化はしないはずなんだ。

だからむしろ、まず連歌というものがあって、そこで歌を詠む代りにお茶を点ててみようか、という動きがあって、茶の湯が生まれた、なら理解ができる。


どうもわたしの中では闘茶と茶の湯がつながらないんだよな。