懐石料理とお茶の話 八百善主人ものがたり7 贋物物語
歴史有る八百善さんちはそれなりに道具持ちだった。
で、道具屋さんにねだられたり、数寄者に(勝手に)持ってかれたりしたらしい。
この炉縁は私のお茶の先生の石塚宗通と云う人が愛玩して居つたもので、石塚さんの手に入る前五六十年も経て居るのでしょう。
それに石塚さんが古びた様に菊桐の蒔絵をさせたもので(中略)
これが私に譲られてからも手ずれてよい時代に見えて居つたのです。
之も無理矢理に売られて了つた。
(中略)
その後数年して(中略)三渓園に伺つて例の秀吉の桃山城聚楽第の北殿の一部を移築したという臨春閣の茶室に通されました。
何とその茶室の炉にはめられて居つたのが、先年瓜龍さんの入札の時にまきぞえで売られて了つた石塚宗通さん旧蔵のあの炉縁なのです。
そしてもうその炉縁は立派に本時代の−註、本当の桃山時代に出来たと云う意味−高大寺蒔絵となつて了つていました。
(中略)
私は唯、結構な炉縁でございますと申上げて帰つて来ましたが、何だか私がしたことではないが、悪いことをした様な、済まない気持がしました。
この話以外にも、大和絵を売ったらいつのまにか重要美術品に指定されていた話とか、俊頼の歌切の残欠を自筆で補ったら、道具屋を渡り歩くうちに書き足し部分まで真筆って事になっていたとか、いろんな話が載っている。
多分、道具屋さんってのは、モノがいいかどうかで真偽を判定するお仕事なんだろう。
だから、本当にホンモノ(変な言い方)かどうかは関係なく、むしろ本物としていても売れるものを本物認定しているだけなんだろう。
なので、ホンモノでなくとも良い物があると、いつの間にか本物って事になってしまうのだろう。
…でも、それじゃ良いものは全て古いものに転換され、近現代の物にいいものが残らないんじゃないかな〜。
それはそれで寂しいなぁ。