近代の禅僧と茶の湯5 天田愚庵

近代禅僧の人名事典。

一人異彩を放っているのが天田愚庵。

天田愚庵[あまたぐあん]=愚庵鉄眼[ぐあんてつげん](1854〜1904)

磐城国城下に生まれる。18歳で上京、神田駿河台のニコライ神学校に入学。
翌年退学して、落合直亮に国学を学び、山岡鉄舟に禅を学ぶ。
その後、清水次郎長のもとに寄宿し、富士裾野開墾事業に協力、次郎長の養子となって山本五郎と称した。
しばし俗世界に帰っていたが鉄舟の紹介で天龍寺の滴水に参じ、2年後得度をし、鉄眼と称した。
歌を詠むことを好み、明治37年、世寿51をもって示寂。

なんじゃこの破天荒人生は。

でも調べてみるとこの記述以上に破天荒。

戊辰戦争(1868-9年)で孤児になって、行方不明の家族探しに放浪中、山岡鉄舟に拾われて、ワル過ぎて清水次郎長に引き渡された。

そして東海遊侠伝を書いて清水次郎長をスターダムに載せた人。

この人は(ちょっとどころじゃなく)面白いねぇ。

でも、この人の墨跡とか、どー読み上げりゃいいんだ。話がはずみ過ぎる。