長闇堂記2 薩摩屋道七

大坂で、秀吉公が桑山法印の屋敷へ御成になった時、千道安が来て台子飾りを準備しました。
薩摩屋道七が挨拶に来て、その台子を見て「何者がこのような無知なことをしたのだ」と散々に言い、すぐに飾り直しました。
(中略)
その仕方を知る人に密かに尋ねてみると、道七は古風の仕方、利休・道安は当世の仕方でした。「台子は道の秘伝です。道安はそれを道七に知らせまいとしたので、大変用心深いことです」とのことでした。

まず、クボゴンの時代に、既に「台子は道の秘伝」という台子の特別視化が進んでいた、というのが面白い。台子なんて室町時代までは誰でもしていただろうにね。

次に。

山上道七の台子は利休/道安のとは違うものだった。

ということは、山上道七は、利休/道安と違う茶系に属していた、という事だろうか?

山上道七の茶が山上宗二の茶と系譜がつながっているかは不明だが、もし繋がっているのなら、本当に宗二は利休の弟子なのだろうか?