茶道之名人

樋口傳/書畫骨董雑誌社/1912年。
明治末に書かれた茶人の伝記。

序文より:

茶の流行する事、恐らくは今日の如きはあるまい、やれ何々流宗匠、やれ何々流家元と、猫も杓子も門戸を張り、表札をかけて、俗衆を喚び、聲名射利に日も之れ啻ならざる有様である。
嗚呼之れ茶道の為めに喜ぶべき事であるか、吾人は然りといふことを躊躇せねばならぬ、日々汚涜せられむとしつゝある茶道の精神を振興し、月に崩壊せられむとしつゝある茶道の面目を回復するは吾人の責任ではあるまいか、之れ吾人の不敏を顧みず、敢て本書を著述したる所以である。

「お茶が流行りすぎている。お茶の精神は失われてしまった」という論調の本は、いろんな時代に存在する気がする。

お茶は、研ぎ澄まされた感性が必要で、一般大衆には無理だ!という思想があるんだろうな。

しかしなんですね。「最近お茶が流行ってない。これでこそお茶の精神の高まった素晴らしい時代だ」という論調の本は見たことがないですよ?

之れまで茶道に關する著書は九牛の毛よりも多いのであるが、多くは口傳秘傳のいかがはしいもので、之れを歴史的に研究し、系統的に、組織的に祖述したものは一冊もない、之れ本書が其の缺を補はむとして生れたものであつて、多くの缺點はあるとしても、此の種の研究に着手したる急先鋒の名は獨り自ら恣にするに足るであらうと思ふ。

さて、本書が口伝秘伝のいかがわしいものでないかどうか。明日以降見ていこうと思う。

…でもさぁ。口伝秘伝がデータソースなのに、歴史的に系統的に組織的に書こうなんておこがましいと思うけどなぁ。