茶道之名人2 珠光法師

村田珠光

これ程の有名人物であれば、口伝秘伝だろうが歴史的研究だろうが、さほどの違いは無い筈。そんな風に考えていた時期が俺にもありました。


本書では、珠光の伝記は通説にそった形…つまり一休に参禅し、お茶に目覚め、足利義政に東山に呼ばれた男として描かれている。

しかし、珠光を呼んだ義政が珠光に行わせたのは以下の様な事らしい。

其處で、斯道に通ずる能阿彌、宗阿彌、篠相濕等を立ち合はせ、珠光を撰者として、奈良、伏見、堺、京都中の茶を喫む道樂に凝りかけてゐる人々を一室に集め、點茶させて、其人達の點じやうにより、あれは惡い、之れは善いと、道理に協ふたるものをとり集め、撰定して遂に七飾り眞の臺子の點前をつくつた、後それは珠光が簡短にして、眞の臺子は略して、座敷は六畳につくり、竹の臺子にかへて草の點前を初めたのである。

…。

そんな大規模な茶道編纂作業をやってたら記録に残らない筈ないんだが。

いったいどんな資料を参照してこんな事書いたんだろう。
口伝秘伝に頼らず歴史研究した成果がこれなら、この記事の原典がどこかにある筈なのだけど…