茶道之名人4 武野紹鴎

本書の語る紹鴎の話、ほとんどは通説通りで「フツー」。

しかし、最後の部分がちょっとアレ。

堺南宗寺の住職は茶に就て紹鴎の師であつたが、左の文は、和尚が紹鴎にあたへたものである。

一、賓客腰掛けに來り揃はゞ、板をうちて案内を報ずべし(腰掛けとは待合の事、板とは釣板の事、)
(中略)
天正十二年九月上巳 南坊 主判

南坊宗啓を紹鴎の師匠扱いしている、というのは、新しい?

南方録の謎の一つである、集雲庵二世と利休とでは時代が合わない、という問題を見事に解決した考察である…というわけではないな。「天正十二年」とかに疑問を持たなかったのか?筆者は。

…南方録をちゃんと読んでいなかったんだろうなぁ。

南方録って、どのくらいの時期に一般に流布しはじめたのか疑問になってきた。