利休居士の茶道

千宗守/藝文書院/1943年。

愈好斎の、利休に関する文章を中心に再録構成した本。


昔千家の家系図をまとめた事が有る。

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20090320

こういう事を書くとちょっとなんだが、武者小路千家は一番断絶した家系だ。

それだけに、「千利休の子孫ですよ」を他流より強調しなければならないと思っている感じがする。

まぁ愈好斎は一応久田家経由で宗旦からの血を継いでいる(事になっている)わけだけど。


さて。

利休好み

一般には「利休好み」と稱せられて居るが、本當に利休が自ら意匠を凝して作つたと申すものは甚だ少ないのであつて、普通にお茶に表れて來る利休好みと云はれるものは、茶道の方では大體利休形と呼ばれてゐる。
(中略)
それは大体その當時一般に行はれ、用ゐられてゐた處のものが多いから、その形なり恰好なりはそんなに變つた形のもの、或ひは大變風流などと思はれるもの等は却つて少なく、今日から見て風流氣なものではなく實際に役立つと云ふ形のもので、誰が見ても無事平穏な變つた姿を傳へていないものが多い。


利休好みと利休形について、非常に簡明に書いた文章である。


たしかにほとんどの利休形は穏便かつ絶妙な形が多い様な気がする。


しかし、利休茶杓はあんまり穏便でない気がする。

あの蟻腰は、かなりの激しさを感じる。


尺八花入とかはともかく、二重切竹花入も過激だ。

いわゆる利休形ではなく、利休が作らせたであろう利休好みは案外穏便でなく過激な気がしなくもない。

利休形は昔の人が利休に投影した人格が、もっと円満な聖人だった事を表していないだろうか?