槐記2 正月二日

享保十一年の正月二日の記事から。

(略)
御休臺ノ上ノ茶杓拝見スベシ、
是ハ三斎ノ茶道一斎ト云シ者、百歳ニテ削テ、御幼少ノ時直ニ奉リシトナリ、
二重タメニテ末ニ節有、
總ジテ茶杓ハ、茶入ニ相應ノ形アルモノニテ、初ヨリ形ヲ定ムルモノニアラネドモ、
是ハ目出度キ茶杓故ニ、毎年元日ハ御用ヒナサルゝノ由仰ラル、

及台子の上の茶杓は、細川三斎の茶堂一斎が、百歳の時に削って、近衛家熈が子供の頃に一斎から貰った物。

形が茶入に相応しくないが、百歳という長寿が目出度いので正月はこれを使う。


そういう話の様だ。


茶入自体の記述はないのと、どう相応しくないのかが書いていないのが非常に惜しい。

行の茶杓だからいけないのか?櫂先が大きすぎるあるいは小さすぎるのか?二重矯めが草の気分なのか?


あと、一斎が細川家茶堂の村田一斎だとすると、1607年生まれで1683年死去。

近衛家熈は1667年生まれ。

幼少期に手づから貰ったという事で、貰った時期のつじつまは合うが、一斎の死亡時年齢は77歳なので、23歳ばかり逆サバを読まれちゃったかな?