槐記5 大服茶

享保十年乙巳

正月七日 参候 今日大雪

今日ノ風雨ニ、能ク参リタリトテ、
保君様御方御盃頂戴、イト難有ク覚ユ、而シテ御前ニ出、
今日ハ御高例ニテ、大服ノ御茶湯アリ、久米玄察、宗也ナド参ル、
雪モ一段ト降續キタルハ、最面白ケレドモ、路次ノ行粧、大キ過テ苦労ナリ、後ハ晴ヤシヌラント御笑ナサル、

近衛さんちでは、正月七日に御茶湯始をし、そこで大服茶をお点前で出してもらうことになっていた模様。

しかし、ここでいう大服茶とはどういうものだったのだろう?

享保十四年正月七日:

御茶入 瀬戸春慶(略)
御茶碗 樂(略)

少なくとも近衛さんちの大服茶は、ごく普通に茶入と茶碗を使って点てるものだった様だ。

梅干しとかの出番がなさそうな気がするのだが…。

趣味悠々官休庵での大福茶をやっていたが:
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20080110
あれも暗くて中身よく判んなかったしな。

公家って奴は、伝統文化を遵守する生き物な筈なので、現代のわれわれよりも原型に近い大服茶だった筈。
本来の大服茶は梅干し煎茶ではないというのは確実、思っていいのだろうか。