槐記9 朝顔の茶

享保十一年六月:

六月二十六日 參候

朝顔ヲ入ルゝ事、今ノ人アマリ茶會ニセヌコトソウナリ、昔ハ朝顔ノ茶トテ一方ニナリテアリト仰ラル、

昔は朝顔でお茶ができたが、今(1726年当時)はしない。


この文から判ること。

まず、茶話指月集(1679年刊行)の影響は見えない。


なんとなく現代では「利休さんの作意が凄すぎてそれ以上の茶は無理」みたいな気分で朝顔は使われない花になっている(違う?)。

でも、ここではそういう感じではない。
と言うことは、他に理由がある筈だ。

私は二つの仮説を立ててみた。


室町時代は朝茶事中心だったが、江戸中期は正午の茶事が中心になった。


でもう一つ。

花を入れるに際し、室町時代には花ならどういう状態でも入れて良かったが、江戸中期には「蕾を入れて開花を楽しむもの」に変化していたのではないか?
であれば、夜明け前には咲いてしまう朝顔は大変使いづらい花になってしまう。

その辺が原因ではないか。