槐記11 茶杓の掛け様

享保十一年十二月:

二十六日夜 參候

今宵ハ宿スベキ由ニテ、宵ヨリ樣〃ノ御話ノ内ニ、
得テハ茶杓ヲ茶入ニ掛テ落ルコトハ、兼テ掛テ見ヌ故ナリ、
夫ニハ必ズ掛ケヤウアリ、
茶杓ノ本ヲ畳ノ目ニテ能ク極メテ、先ハカクマデニ合點スベシ、

茶杓を茶入に掛けて落としてしまうのは、事前に掛けてみなかったせいだ。
茶杓にはそれぞれいい位置があるのだ。
そのバランスを畳の目数で覚えておきなさい。

ぐらいの意味か。

たしかに。

お稽古でたまに茶杓を落とすのは、自分の茶入でも自分の茶杓でもないから。慣れた茶杓と茶入なら、重心位置も判っているんだから、失敗はしない(筈)。

でも、この話から「この時代に、茶入と茶杓、初めての組合せでお茶をする事があった」と言うことが判る。

あと、畳の目で覚える、というのは、茶道では常套手段なんだけれども、茶筅と茶入の距離、みたな畳付き部分で距離が計れるものと違い、茶杓の本は空中にあるので、自分の座る位置と姿勢、茶入の距離が厳密に固定できないと、いまいち成立しない気がする。

なんかスパッドボーリングやってるような難しさかもね。