槐記10 中じまい

享保十一年十月:

十月二日 參候

先日ノ道乙ガ茶ノ話ヲ申上タルニ付キ、
今ノ人ノ茶湯ニ、濃茶ヲ點シテ客ヘ出シ置キ、
亭主ハ釜ノ蓋ヲシテ、柄杓ヲ直シ、跡ヘ退テ默シ、
二番目ノ邉リヘ茶ノ渡ル自分ニ、又進ンデ蓋ヲ取リ、
水ヲサシ、柄杓ヲ飾リテ相待ツコト、是レ尋常ナリ、
定メテ先日ノ茶モ左アルベシ、アレハ何トシタル事ト云譯ヲ存知タルヤ、
是ハ常修院殿ノ常ニ仰セラレシ事ナリ、普通ニハセヌ事ナリ、
一度茶ヲ出シテ、何ノ為ニ半ニ仕廻ベキヤウナシ、
何時モ 後西院ヘ御茶上ラレシニ、折ニ觸テ上ヨリ拝領ノ茶トカ、左ナクテモ御相伴アルベキ由ノ仰アレバ、必ズ釜ノ蓋ヲシテ、柄杓ヲ直シテ、座ヲ立チ,末座ニ看テ御相伴ナサレシナリ、
總ジテ亭主ノ相伴ナラデハセヌ事ナリト仰ラル、

「今、中じまいってしていますが、あれってどうしてでしょう?」という質問に対し「あれは、亭主が相伴する為にやることなので、普通はしなくていいんだよ」という答えが帰ってきた、というお話。


江戸中期には中じまいは既に形骸化した作法になっていて、しかも理由が判らなくなっていた。

…ある意味洗練過ぎされているなぁ。

にしても、中じまいって必要な作法なのだろうか?

あってもなくても成立する手順なら、別になくてもいいのでは。