槐記13 お茶のお稽古

享保十一年十二月二十三日:

今の人の茶を稽古するを見るに、茶湯手前にかヽりて、夫は如此すべし、夫は左に非ずと直して、大方なれば其通りにして置く氣に、師もなり、弟子もなりて、
一遍通りは誰も頭から點らる、やうにする故に、誰も一筋を吟味しおほせる事なし、
昔し御前などの御稽古は、左に非ず、
例令ば、茶入の結びやうなれば、茶入一つを出して、結びやうを様々に吟味し、
茶杓の置きやうなれば、置きやう一通りを、様々に吟味しおほせ、
炭なれば、先づ組みやう、置きやう、取扱ひやうを吟味して、
物夫々の濟たるを一つに合せて、點前を習ふ事なり、

今の人のお稽古って、「あーしろこーすんな」って手前を頭から順にさらっとするだけだよね。
昔は違ったんよ。
茶入の結び方だったら、これはこれがいいんじゃないかとかいろいろ試してみて、茶杓の置き方とか、炭の置き方扱い方いろいろ吟味し通して、それが結果としてお点前になっていたんだよ。

ぐらいの意味?


江戸中期のお稽古も、現代同様、通しでさらっと一点前するスタイルだった様だ。

で、近衛さんはそれはヌルいと思っていたというのが判る。


また、近衛さんの若い頃は、その場その場の創意工夫が必要だった。

逆に云うと、近衛さんが若い頃から老成する間に、茶の湯の稽古は様式化していったという事。もしかすると茶の湯の点前自体が様式化したということなんじゃなかろうか?