槐記16 こぼす

槐記は近衛さんの語った事の記録なので、同じ話が何回も出たりするし、時には正反対の事を言っていたりもする。

そんな中から。

享保十二年閏正月九日:

今世間ノ茶ニ、水ヲ茶碗ヘ入レサマニ疊ニコボシテ點ルヲ嬉シガルハ何事ゾヤ、

享保十三年十二月十一日:

今ノ世ノ宗旦流ト云モノ、湯ヲ汲テ溢ルヽコトヲ厭ワズ、溢スヲ本トスルヤウニ覺エタルハ、異ナコトナリ,

どちらの文も「宗及は一滴水をこぼしたので利休が天下の宗匠になったのだぞ」と続く。

この時期、千家を中心にびっしゃんびっしゃんこぼすのOKのお茶が流行っていたのだろうか?

おおげさに言っているだけという気もするが。

總ジテ茶ヲ碗ニ入レテ、其眞中ヘ湯ヲ汲メバ、茶ノ末必ズ四邉ニ散テ見苦シ、
必ズ碗ノ側ヨリ入レテ湯ニテ茶ヲ浮上ルヤウニスルヲ本トス、
スレバ自ラ湯ノ溢ルゝト云コトハナキ筈ノコトナリト仰ラル

千家は湯を入れるときに茶碗の中心にどばっと注ぐという方法でも推奨していたのだろうか?


「一滴もこぼすな」という厳しさよりも「少々こぼしましょうか」ぐらいのヌルさの方が間口が広くなるわけで、戦略的に千家がそういう事を仕掛けていてもちっとも不思議ではない様な気がするぜ。