槐記20 着替え

享保十六年四月二十四日:

總ジテ茶湯ニ、中立ヨリ衣服ヲ着易ルコト、始メニ華美ナルモノヲ着シ、
後ニシメヤカナル物ヲ着シ申スガ好キコトニ候ヤ、
但シ始メハシメヤカニ、後ニハハナヤカナルモノガ好ク候ヤト伺フ、
(中略)
總ジテハナヤカナル衣服、シメリタル衣服ト云コトニハ非ズ、
着易ルハ、始メヨリ給仕ヲシ、花ヲ生ケナドシテ汚シタル衣服ナル故ニ、
茶ヲ點ルニ臨テ、改テ出ン云コトナレバ、
衣服ノ模様ニ心ハアルベカラズ、
尤モ所ニモ、客ニモ、場ニモ、時節ニモ、因ルベキコト、
着易ヘヌコトモアルベシ、必シモト云コトニハアルベカラズ,

「一般に中立のタイミングで着替える時、デーハーなのから地味なのにするのがいいのでしょうか?それともその逆?」
「そういう事じゃないんだ。飯運んだり花を生けたりして汚れた着物を、お茶を点てる前に改めるって事なんで、柄はどうでもいいんだ。TPOによるので、着替えないこともある。必ずってわけじゃないんだ」


この時代の亭主は、中立の間に着替えるのがデフォ?
でも派手な方の服を前に持ってくるか後にするか当時でも議論があった模様。


中立に着替えができるには、

  1. 当時の人は着替えが早かった
  2. 当時の中立はすごく長かった。
  3. 当時の茶湯では中立の準備は半東が全部やっていた

などの条件のどれかが必要な気がする。

ま、3番目だろうな、多分。