槐記21 拝領の茶入

享保十八年三月二十二日:

昔シ、先々ノ小堀仁右衛門ガ申スハ、先祖遠江守ハ、御家ヘハ別シテ親シク參リシ者ナリ、
上ヘ奉ラントシテ、蓋袋好ミ置キタル茶入アリトテ、高取ノ茶入ヲ献上ス、
之ニテ御茶アリシ時、此事、御上ニモ聞召テ、後西院様常修院殿ニモ御物數寄アリテ、一切燒物ノ類ヲ用ヒズ、其意、高取ノ茶入ハ新シキモノナレバ、是ヨリ古キモノ尊キモノヲ出シテモ濟ヌコトナリ、
茶具ハ勿論ノコト、料理物マデニ、一切燒物ノ猪口皿ノ入ラヌ獻立ハ仕立タリ、
茶碗バカリハ燒物ニアラズシテハナラヌモノナリ、
是ハ如何ガトアリシ時、常修院殿ノ御物數寄ニテ、御所持ノ重寳印土ノ茶碗ヲ借サレタリ、夫バカリハ、最尊キヲ用ヒテ好カラントナリ、


遠州の甥小堀正憲が言うには、小堀遠州近衛家と親交が深かった。
遠州は自分の好みものとして作った高取の茶入を天皇に献上した。

これでお茶があった時、後西院帝も慈胤法親王も茶入が遠州好みの新物と聞いて参加していて、物好きにも一切、陶磁器を使わない茶をやってみた。
高取の茶入は新しいものなので、それより古い尊いものを出すのは申し訳ないからだ。
茶道具ばかりでなく、懐石もそうできる様に献立を組み立てた。
茶碗ばかりは焼き物にしないわけにはいかないので、どうだろう?と思っていたら常修院殿のコレクションから、素晴らしい井戸茶碗を貸してくれた。
そればっかりは尊いものでもよいだろうという配慮である。


まずツッコミどころ。

小堀仁右衛門家は異母弟の家系なので、遠州は「先祖」ではない。
でもそこを騙りたくなるくらい遠州の名前は価値があったのだろう。


遠州から新物の茶入をもらったので、茶入を引き立てる為に陶磁器を使わないお茶をする、というひねくれた感性が殿上人にあったというのが面白い。

でもさすがに茶碗は無理だった、というのもまた当然だが、面白い。


よく判らないのは、遠州の創意でなく当時の殿上人の創意を遠州の甥から聞く、というシチュエーション。

なんで近衛家の人はそんな話をしらないの?って感じ。