槐記22 趣向

享保十九年三月二十九日:

四月朔日ニハ,私宅ニテ茶湯ヲ催シ候、コトニヨリテ二日續ケテ仕ルコトアルベシ、
是ニハ父子モアリ、朋友モアレバ、同人モアルベキガ、前日ノ茶湯ノコト、
即時ニ相客ニ知ルヽコトナリ、
前日ノ道具ヲ悉ク易テ出サバ、然ベカランヤ、但シ一色モ易ヘズシテ、其マヽ出スガ宣シカランヤト申シ上グ、
仰ニ、如何ガアルベキヤ、
昔シ或時、常修院殿、三菩提院殿ナド、加樣ノコトを聞カセラレバ、サゾ工夫アルベシ、
御參會ニテ御僉儀アリテナラバ、一決スベシ、
今日ニアリテハ、悉ク易ヘントシテハ、先ヅ汝ガ身上ニテハ、ムツカシカルベシ、
悉ク易ヘオホセラレルベカラズ、
風爐モ衝立ヲ紅鉢ニ易ル程ニナクバ、分立チ難カルベシ、夫ヨリモ、第一ハ道具ニ甲乙出來バ、客ノ甲乙ニ差合フコトアルベシ、唯一向ニ一色モ易ヌガ好カルベシ、

「あのー、私、来月茶事やるんすけど、連日やるかもしんないっス。客層はいろいろ。
でも、前日の趣向のままにすると、翌日の客に伝わっていると思うんスよ。
だから道具を替えないといかんかと思うんスけど、どうスか?」
「どうしようかって?昔の常修院殿とかなら、こういう事に面白い回答をしたかもしんないけど、いまどきはどうかな?全部道具を替えようにも、君そんな御金持ちじゃないじゃん。
それに道具に順列つけるのは、客に順列付けるようなもんだしねー。何にも替えないのがいいんじゃない?


鈍翁の頃、茶事は同趣向で客組を替えて、なんどもなんども実施するものだった。

鈍翁達はその茶事の為にわざわざ道具を買い集めているんだから、2,3人の客にしか披露しないんじゃコストパフォーマンス悪すぎだからである。


だが、江戸時代中期でも同じ様な感じだったみたいである。


この話のおもしろい所は、前日の客から翌日の客へ、趣向が“即時に伝わってしまう”と山科道安が考えているところ。


「あの人の茶はこんな感じでしたよ」という評判をまき散らす習慣なり文化なりが存在していた事を示すのだと思う。