江岑夏書5 濃度

割と有名な奴。

一 こい茶立候時、左之手をそへ申事惡敷候、
右ニ而茶洗持てふり申候、旦も手ハ御そへなく候、
臺天目之時ハ手をそへ申し候、

濃茶を点てる時、左手を添えるのはよろしくない。
右に茶筅を持って振る時、宗旦も左手は添えなかった。
台天目だけは手を添えていた。


右手だけで茶筅を振って濃茶が練れるのだから、当時の濃茶はその名にそぐわぬ薄いものだった、という事で知られている。


それに関連する話。

一 こいちゃのふくの事、
利時分ニハ今時ノふく也、
織部時、こくねつちきるやうニ立候、
今ノふく、うすきと申候、
旦ハ一代、利時のことく立被成候、
こくはやり立候時も、うすく御座候、

利休の頃は今と同じで薄かった。
織部は濃いのを流行らせた。
でも濃いのが流行った頃でも宗旦は薄いのを出していた。


江岑の頃薄かった濃茶も、今では濃いものに。

結局時流に負けて千家も濃い濃茶を点てる様になった、という事だろうか?