へそ茶5 二人は御免
昨日に続き相客の話。
茶會には相客の選定こそ専要なれ、正客窮窟の人なれば、次客三客に洒落の人を交へて一座の調和を取らしむるなど、其組合せは毎度茶人の苦心する所なり、
茶会が成功するかどうかは客組み次第なので、客組は座が盛り上がる様に組みなさいという事だと思う。
扨て朝吹柴庵翁は座談に長じて一人にて能く茶席を賑し、益田紅艶は駄洒落が得意にて能く珍事の種を蒔く、共に斯界に無くては叶はぬ珍客なるが、此二人を同時に招ぐは甚だ物騒なる事なり、
しかし超盛り上げ系朝吹柴庵と益田紅艶の両方を同時に呼んでしまうとどうなるか。
柴庵翁の高聲は内證話にても猶ほ水屋の外に達し、紅艶の大佛的圖體に不似合なる甲走りたる放談と、兩々相和して其八釜しさ言ふばかりなく、柴庵が正面より鐵鎚を打下せば、紅艶は直に駄洒落の合槌を打ち、一語は一語より高くピン/\カン/\としえ、茶席は忽ち刀鍛治の現場と變じ、座客一同烟に捲かれて興味は座中に横溢すれども、肝腎の茶事は其方除けにて主人の苦心も水の泡となる場合なきに非ず、
二人が暴走をはじめ、会としては盛り上がって客は楽しいだろうけど、趣向や道具組みはそっちのけになるので注意しようね、というお話。
教訓としては、客組自体を盛り上げすぎない様にしよう、というあたりか?
現代ではそういう名人を二人も呼ぶような事は無いだろうけど、逆に仲良しの知人とかを呼んでしまうのも内輪の話で盛り上がられてしまうという問題がある、と読みかえてもいいかもしんない。