へそ茶6 獨りよがり

茶事の趣向は奇抜なるも良し、優美なのも好し、洒落たるも宜しけれど、主人が獨りよがりにて容易に心の讀め兼ねるを其趣向の鍵を捜り當てゝ、然も其思ふ壷に嵌らんとするは、客に取りて中々の難事と言はざるを得ず、

茶事の趣向はいろいろあっていいけど、亭主の独りよがりで読み解くのが難しい奴は客にとって大変すぎるもの。

益田鈍翁先生金澤に於て、弘法大師座右の銘中『何傷』の二字を求め(中略)幽月亭に此掛物開きの茶會を催したる事あり。
第一日目に招がれたるは朝吹柴庵、益田紅艶等にて、茶碗は光悦七種の中有名なる七里、茶入は松花堂所持結納文琳、茶杓狩野探幽の作を取合せて心あり氣に見えけるが、柴庵、紅艶は其頃評判の關西地方入札會の談話に實が入りて、何等の挨拶もなく立去りたれば、主人は大不平にて、

鈍翁が弘法大師の掛物に、光悦茶碗、松花堂茶入、探幽茶杓を組み合わせた事がある。しかし客の柴庵と紅艶は別の話で大盛り上がりで帰ってしまった。鈍翁は不満だったという。

…それはどう考えても客組みが悪かったのでは。

或人がソト尋ねたるに、仰も弘法大師の筆道は傳來年久しけれども、其正傳を得たるは唯光悦、松花堂の二人あるのみ、之を大師流の正統と謂ふも可ならん、又、探幽は夙に大師様を學びたるのみならず、彼の高野山より座右の銘一巻を請ひ承け
たる其本人なれば、

ある人が鈍翁に尋ねると、光悦と松花堂は大師流の後継者であり、探幽は掛物を高野山からもらった人だからという。


箒庵はいう。

斯かる趣向を讀み得ずとて主人の不興を蒙るは三太夫が殿様の謎を解き得ずして叱らるゝと同様、主人が客を甘がると同時に客も亦主人を甘がり、今に一つ噺として同人間に語り傳ふとなり。

そりゃーねーよ、と。

主人は客の読解力に甘え、客も「はなから無理」という甘えになると、いまいちなお茶になるよという教訓となった、というお話か。

現代人のお茶では、昔と違いさほどの教養が期待できない分、判りやすいお茶をしないといけないのかもしれない。