へそ茶7 盗まれたし

鑑定について。

茶人の道具を買入るゝに人に依り樣々の癖あり、
道具屋と差向ひて直覺的に面白しと思へば其時勝負、即座に買入るゝ者は道具屋に取りて上々の客なり、
自身に決斷し兼て、豫て師匠番に相談の上、取捨を決するは其次なり、
念には念を入れて出入の道具屋若くは同好の友人などに見せ廻りて、八方好評なれば夫れにて安心して買入るゝ者が次の次なり、
念には念を入るゝ程怪我は少き道理なれども、其品物を多人數に見られ随つて時日も延引すれば道具屋は甚だ迷惑にして、斯かる客には賣れ殘りを持參して即決即買の方に先づ名品を持參するを常とす、

道具を買うのに際し、慎重に時間を掛ければ掛けるだけ道具屋には嫌われ、いい道具が回ってこないというお話。
納得の行く話だ。

即ち名品を獲んとすれば即決即買が必要なれども、其代り時に贋物を掴むの危險なきを得ず、
斯くて此贋物を掴みたるときの不愉快はグワンと腦天の奥に響きて、得も言はれぬ感覺を生ずれども、道具鑑定に一大進境を示すは即ち此刹那にして、眞剣勝負の効能は實に此時を以て現るなり、
古來自身に者を買はざる鑑定者に眞の鑑定者なきは之が爲にして、眞の鑑定は唯贋物を掴みたる其瞬間に、深く腦底に印せらるゝ苦痛に依つて上達するものと云ふも可ならん、

贋物を買った苦痛こそが鑑定眼を上げる。

たしかにそんな気がする。

僕等のささやかな道具でもそうなのに、家一件買えるような値で贋物を買えばもっとすごい苦痛だろう。

…もう道具買うの止めよう、と思わないのが不思議。

加藤正義翁嘗て此間の消息を語りて
(中略)
相手を責むるは未練らしく且つ自己の見識を下ぐるの嫌ひあり、
左ればとて其物を破壊し若しくは抛棄する譯にも行かず、
此時若し盗賊の入り來りて此品物を盗み去りたらば、氣もサツパリとしてさぞかし愉快ならんと思ふ事ありと云へり、

戦後のセコイ数寄者のエッセイでは、やたらと道具商に買い戻させているが、それではやっぱり鑑定眼が上がらないのだろうなぁ。