へそ茶11 交趾と高知

故杉本尚徳氏世に時めきし頃、或る人の茶會に交趾臺牛の香合出でゝ一座の賞翫大方ならず、杉本氏は交趾と聞き、扨は土佐の高知にて製造されたる陶器ならんと思ひ、止せば好いのに、先刻御承知の如き面持にて、自身が嘗て高知に赴きたる時、同地の窯元を訪ひて樣々の陶器を買居れたる自慢話など左も得意氣に物語りけるを、

杉本尚徳がブイブイ言わせてた頃、ある茶会で交趾台牛香合が出て、みんなが褒めた。


杉本尚徳は杉本正徳だろうか?であれば小真木銀山経営などをした人である。


杉本は高知の陶器かと思い、「ああ、この窯元さんへなら行った事あります。はりまや橋で有名な高知の町から車で延々2時間かかって行きました。四万十の清流は水清く(中略)あの時は私もそこでこの手の香合を買わせていただいたものです」みたいな話をドヤ顔でしてしまった。

座中の老功者が笑止がり、交趾の地理談などに移りて、夫れとなく支那南方の交趾と匂はせたるに、杉本氏もヤツと氣が附きたるが、何處までも之を彌縫せんとするより、出した店を引込ませるに窮し、樣々の辯解愈々出でゝ愈々可笑しく、一時同人間の笑柄となりたりとぞ。

おもしろがった“ベテラン”が、話を此処で終わらせてもつまらんと思い、
「はてはて?小生の記憶でははりまや橋は確か四国にある橋ではないでゲせうか?遠くベトナムにもそんな名の橋があるとは奇怪奇怪。あと南支那にはシマントという川なんぞありましたでゲスか?もしかしてフランス語でゲスかね?」


的な事を言って杉本に気付かせようとした。


さすがの杉本も交趾が四国の地名でない事に気付き:

「あーハリマヤってのは現地の言葉で『虎』を意味していて」

とか言い訳を開始したが、やっぱどうにもならなかった。


しかもその話は同好の士の間に流布されてしまったという。



…笑えるけど、なんとも切ない気持ちになる。うかつな知ったかは危険という事だな。

実際、茶の湯には「歴史的に正しい」と「伝承的に正しい」が別々に存在し得るので、意外な事で知ったかをしてしまいそうだ。気を付けねば…。