茶道入門5 茶道史概要 明治の茶

「江戸時代に茶道は華美なものになりました」の文の続き。

此の時山田宗偏の如きは此れを見兼ねまして、茶道の頽廢を嘆げき、革新論を唱へ、「茶道便蒙抄」や「茶道要録」を著はし、利休の本旨に復さうと努めましたが、如何せん覺醒者は僅少であつて其の時代の風潮と共に骨董いぢりの贅澤遊びと化して仕舞ひました。其後松平不昧や白河樂翁の様な偉人が如何に心膽を碎きましても、踏み誤つた茶道の矯正に目的を達し得ませんでした。

井口史観の中では、いろんな人が頑張った割に江戸時代の茶は華美で退廃したままだった様だ。
千家も割と金持ちに阿った茶になっていた、という感覚はない、のか、無視したいのか。

明治維新となりまして泰西文明の急劇な輸入に厭せられて、茶道は幕末の頽廢の儘で一時影を潜めましたが、國運の進展と共に復舊して來まして、明治の中頃から大正にかけましては大いに親しまれる様になり、昭和の今日に到つたものであります。

で、明治大正のお茶。

この文脈からでは「明治もやはり華美で退廃したままだった」とも読めるし「庶民にも親しめるものになった」とも読める。


つまり、幕末→明治→大正と、茶道は一旦寂れたが、盛んになった。
「盛んだったが退廃した」とは評価軸がぐりっとズレている。


この部分、私には井口が言葉を濁している様に感じる。

遠州を激しく攻撃した様に、きっぱりした評価を下して欲しかったものだ。
「近代数寄者は退廃していたか、否か」を。