茶道入門4 茶道史概要 遠州

利休の高弟織部流祖古田重勝の門に天才の遠州流小堀政一が出まして、徳川家光の茶道の侍者であり且つ伏見奉行となつて居つた關係で、大いに當時の高等政策上からも茶道を鼓吹して盛に諸大名の財を投げさせました。
政一は利休の本旨に反し、侘びを遠ざかり、禪とも遠ざかつた頗る華麗な茶道を宣傳したのであります。
従つて本來の民衆的な茶道は遠州流に至りまして貴族富豪でなくては之に親しむことが出來ないやうに推移しました。

遠州ケチョンケチョンである。

取り合えずツッコミをいれておく。

古田重勝は松坂藩主。古田織部重然とは別人である。といっても昔はよく混同されていた。

家光は江戸在住で、主に伏見に詰めていた遠州とは、実は思ったよりも接点が少ない。


禅と遠州の関係は経済的には濃厚。井口は孤篷庵を寄進したのは誰だと思っていたのだろう?
まぁ「華麗な茶道」であったのは否定できないけれども。



江戸時代を通して支配的な茶道流派は遠州流でなく、むしろ石州流だと思う。

だが遠州流に比べ、地味でツッコミづらい。

千家の影の薄かった江戸前期、井口としては影の薄さの責任を遠州に負わせなければ気が済まなかったのだとは思う。