茶の湯と生花2 茶道流儀
茶禮の式は東山義政公にはじまる而して後ち茶を説く者益々多く其流儀も亦多く出來れり今諸流の祖を擧ぐれば左の如し
利休流 今千家といふ千利休は泉州堺の人なり父は千阿彌と云ひ名ある士の流れなり本姓をかくして千の一字を名字とす中興の茶道の祖なり
俗説では千阿弥は利休の祖父。千阿弥同朋衆説が正しいとしても「名のある武士の流れ」とはとても言えまい。
裏家 千宗室仙叟と號し今日庵と稱す宗旦の第三子、元禄十年没す
武者小路家 千宗休守一翁と號し官休庵又似休庵と號す宗旦の季子延寶三年没す
仙叟は宗旦の第四子。
千"一翁"宗守に官休庵の休の字がまじって変な名前になったのか?。一翁は末っ子でなく長男。
当時の感覚では千家イコール表千家、というのがよく伝わって来る。
あと紹介されているのは
いくら昔でも有楽流や織部流がそれほどメジャーだったとも思えない。
松尾流や江戸千家が入っていないのも不思議。
どういう選択肢だったんだろう?
先祖が有名かどうかが問題?