埋れ草4 同門会
"わび"昭和18年1月号「来る年のために」より。
昭和17年を回想する即中斎。
何といっても、すぐ頭に浮かぶのは、二月十一日の佳節に呱々の声をあげた千家同門会のことである。
現代も続く表千家同門会は、戦争の産物だったのか…。
卒直にいうならば、従来の茶道界は何ら組織を持たなかった。
といっても、この組織がなかったというのは、煎じつめると、そこにかえって茶道のよさがあるのだが、この時この時局において、茶道界、私の家の流れを汲む人々の間に何ら組織がないことは、茶道界の総意を世に示すのも不可能であるし、一致協力の纏りをみせrつこともむつかしいし、茶道を通じてお国につくす誠も通りにくい。
うん。
金持の贅沢な遊興と見なされることで身を立てている方々の、風当たりをなんとかしようという意図が、ちょっと滲み出過ぎててまずいじゃねーの的な文章。
でもこの同門会ってどんな戦争協力をしたのだろう?
釜を供出でもしたんかいな?