埋れ草5 影響のない部分
ここから戦後。
"わび"昭和39年4月号「点前はけっして変わっていない」より。
点前とは茶室における一切の手順や動作がみがきにみがかれて、もっとも合理的であり、かつ最も美しい動きをもつものなのです。
むだな動作をすべてとりのぞいたものであるはずの点前は、もう変えようにも変えることのできないものといってもいいでしょう。
お茶は無駄な部分のそぎ落とされた合理論きたーー!
それでは絶対に変わることのないはずの点前が、いくつかの流派によって少しずつ違うのではないかという疑問がおきてくるかもしれません。
なるほど各流派で点前の動作は多少違ってはいますが、それは、はっきりいえば、どうでもよいところつまり多少変化があったとしても別に点前そのものの意味にはあまり影響のないような部分が、少しずつ違っているにすぎないのです。
名台詞キタコレ。
でもやっぱ前段の「むだな動作をすべて」と矛盾してるよなぁ。
「お茶には無駄な動きもありますが、割と合理的で無理のない流れになってます」ぐらいに説明しておけばどっちも問題なかったのに。