茶碗談義3 茶碗の地位

かるが故に茶碗は茶生活の實體だと云へるかも知れぬ。
然るに古來茶席に於ける調度としては、茶碗よりも茶入を以て第一位に置いて居る。
それは大名物として選擇された茶入の數が、遙かに茶碗を凌駕するのでも知られる。
之は主として茶入と茶碗の、茶に於ける重要性と云ふ事よりも、寧ろ其品位や姿の完全性や、其他色々の觀點からの問題で定められたのである。
即ち茶碗は茶入に比して其姿に於いて不完全である。
茶入は首、胴、腰、足と纏つた姿をなして居るに反し、茶碗は此茶入の姿を横に胴切にした姿である。
従つて上半分が足らぬ形となる。器形としての纏り統一感がない。

茶碗が茶入より道具の格が低いのは、首や胴がなくて開放系だから、といいたいらしい。
しかし、最大の理由は:

然し、最も主なる理由は、古來よりの我國に於ける人體接觸に對する、傳統的な下等觀である。

人間が口を付けることに対する忌避感だったという。わからなくもない。


しかし、茶碗マニアである作者はそのことが我慢ならなかった様だ。

かるが故に自分は茶碗の實質上、茶碗を茶道具第一位とせざるべからざる事を提唱する次第である。

提唱したから、どうなるってもんでもなかろうに。

気持ちはわからんでもないけどね。

実際、自分の感覚でも茶入より茶碗の方が変化に富んで面白く感じるしね。