茶の湯作法
富貴庵旭亭/荻原星文館/1937年。
著者の流派は不明。
この作者の語る茶道史はちょっと変。
珠光は南都の人。
少時南都稱名寺の僧となつたが、法業を怠り勝ちなので、十年餘で破門されて了つた、ところが、年三十の頃、紫野大徳寺に行つて、時の名僧一休禪師に乞うて弟子となつた。
そして法業の修道に餘念がなかつたが、何うしたものか時と場所の別なく睡眠を催す僻があつたので、
なんか珠光がダメ過ぎる坊主になっている。
利休が坊主あがり説か…。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20101112
栗田信充の説がベースなんだろうなぁ。
利休は豪商で女好きで権力者にべったりであった、というのではどうも不味いという人達がいたんじゃないか。だからこういう清貧の聖者としての利休像というのに需要があったんじゃなかろうか?