茶の湯作法3 社交上より見た茶道

当時の茶道観その二。

この本には「お茶をやっとくといいよ」と言う為にふたつのエピソードが紹介されている。

編者の知己に他人の世話をする事を樂しみにして居る中老人があります。
(中略)
ところが或る時、その人が或る人から縁談の媒介を頼まれたのです。
(中略)
或る日良日を選んで先方へ行き親達へ面會を求めたのでした。
さうすると家人は暫時の間お待ち下されと
(中略)
案内されるまヽ小綺麗な座敷へ這い入ったのです。
ところが、その座敷は本茶間四疊半の間でありまして、風爐には火が起り、釜には湯が立ち、知己を正客として迎ふべきやうすべての用意が整へられてあつたのです。
そこで知己が考へましたのおに自分は何も御茶を頂戴に參つたのではない、縁談の儀について御面會を致したいと申したのにも拘はらず主人と碌々初對面の挨拶も交さない以前に茶席へ通すとは少しく合点が行かない、之れは何か仕組まれた事に相違ないとは直感したものヽ、今更引き退る譯にも參りませんし、それに僥倖にも自分は少々茶の湯の心得もありますので、
(後略)

一つ目のエピソードは、礼儀作法に厳格な家にお使いに行って茶室に誘い込まれ、茶の湯を知っているから難を逃れた、というお話。

茶の湯を楽しみでなく、試金石に使おうという発想が許せない。


二つ目のエピソードはその逆。坊さんが饗応の招きで行ってみたら茶席の正客で、心得がなかったばかりに

恰も煎茶を飲むが如くして一吸に喫して了った。
その刹那この有樣を見て居た一座の面々はアツと驚いて噴飯笑止に堪えなかつた、


茶の湯は素人を笑いものにする為にあるんじゃないんだぜ?
亭主が、そして相客が悪かろ?


亭主は茶の湯の心得のない人かどうかを確かめて、レベルにあわせてフォローすべき。その為に相客にフォローを頼んでおくべき。
相客も亭主が頼もうが頼むまいが、正客の行動をフォローしなきゃダメじゃん。フィンガーボールの水は飲もうよ。


あと、この二つのエピソードで茶の湯の有用性を示そうとした筆者もいかがなものか。
…俺、脅迫型CM嫌いなんよ。絶対ファブリーズ買わないと思ってる。

でも、この時期の茶の湯がこういう殺伐したものだった、という可能性もふくめて受け止めようと思う。