茶の湯作法2 茶の湯本來無差別
また現今の社會−これは現今でなくとも何時の世何れの時代に在つても同じことでありますが、殊に現代に於ては階級意識といふやうなものがあつて、私共は偶々不愉快を感じるやうなことがあるのであります。
(中略)
斯ういふ點から考へますると、茶の湯には差別とか、階級といふやうなものは無いので、
これ等は皆禮によつて正しく秩序がたつて居るのでありまするから、その間少しも可厭な感じが致さないのであります。
さうして一度茶席のひととなりましては貴賎貧富老若男女の別なく、一心同軆となつて、すべてを打忘れた、眞に平和な転置に身を置くのでありますから、その心持というふものは、何とも言ひやうのない、清爽な氣分に充たされて來るのであります。
昭和初期の人間が、自分達は階級社会に生きていて、もしかすると江戸時代に比べても、抑圧されている。それを突破できるのは茶の湯の平等しかない。
…そう思っていたのだとすると、大正デモクラシーってなんだったんだろうなと思う。
まぁ大正時代に自由や平等の思想を知ったからこその不満であって、平等の思想などない江戸時代の人々はそういう不満を持っていなかったかもしれないから、それはそれで進歩なのかもしれないけど。