茶道要鑑2 器物の鑑定に就いて
茶人と云へば必しも、器物の鑑定に巧みなるものと思ひ、茶人自らも又鑑定を能くするを以て、誇りとして居る、然しながら此鑑定が、果して眞僞を識別する事の出來得るや否やは、大に疑問とする所であつて、予は之を識別するの眼識が無い、寧ろ無きが當然にして、有といへば之れ大なる誤りであらうと思ふ。
茶人は鑑定家ではない、と著者は言う。
著者は幾つかの実例を挙げ、相応の技量で作られた偽物が、真物としてまかり通っているはずと。
そんな状況で:
鑑定を以て慢する茶人を往々見受るが、平たく云へば鑑定ではなく、推量といふ方が適當である。
と、やはり近代数寄者に手厳しい。
茶人の鑑定は、決して器物の時代や、作人の鑑定ではない。
只だ此器物は茶に持ちゐて然るべきや否やを、識別するのが、即ち茶人の鑑定眼であるから、幸に誤解なからん事を乞ふ。
目から鱗の正しい見識だと思う。
実際問題、いろんな骨董の本を読んだが、本物を本物と保証するのはその物の持っている力であり、真贋というより出来の善し悪しだったりするもんな。
むしろ茶人の方が箱書き優先で目の前の物に対して鷹揚な気がする。