茶道要鑑
玉置一成/前田書店/1915年。
大正四年の茶書。
著者は「瑞穂流」という茶道流派の家元。
緒言から:
然し、此趣味も一朝解し誤る時は、茶道も一種の道樂に過ぎないもので有て、茶室は贅をつくし,器物に高金を投じながら有合せの器具を用ゐし如く見せかけ、其實は前々より畸形物、即ち人間鳴れば不具者といふべき、焼損ひの茶碗や、歪んだ茶器を蒐め置き故ら賓客に用ゐて誇るなどは甚しき好事家であつて、剰へ服装は素より携帯品に至るまで、純然たるものを持たず、不具者ばかり、而も需むるに汲々として、之を持て得意がるは、不心得千萬ではないか。
彼らは數寄者でなく、好事家と云て、茶人の最も忌べき輩である。
大正前半はそれこそ「近代数寄者」の時代。
新聞記事などで金持ちの茶事がばんばん報道されていた。
各流派家元すら茶堂扱い。
著者は相当苦々しく思っていたのではないだろうか。
裏千家等の大手各流派にとっては近代数寄者はスポンサーでもあるので、この扱いになんら反論もできなかったが、そういう縁のないマイナー流派からはきちんと反撃していたという事だろう。