茶道要鑑4 舊燈を用ふる必要はない

余はしばしば夜會の茶の湯の席に臨みたるが、今尚ほ舊習を捨てずして、短綮若しくは竹綮或は雁足、菊燈臺偖は結び燈臺などの類を用ゐて居る向きもある。
聞く處に據れば、薄茶なればランプを用ゐて差支へないが、濃茶となれば矢張舊燈を用ゐるが式であると、諸君は此言を如何に思ふであらうか。

夜咄に短綮とか使うのは時代錯誤と著者は言う。

もっと明るいランプや電燈を使えばええやん、珠光や利休もランプあったら使ってたはずだよ、きっと、と。

そして:

文明のものが茶室に調和せんとならば、散発頭やハイカラ頭で茶を點てる事が出來ない。

まぁその通りなんだよね。
わざわざ時代錯誤な道具使うなら、髷結って来いよオラ!ってな感じか。


著者の照明論は、昼の茶室にも及ぶ。

後坐に(茶の時に)なつて簾を外して明るくし、日に依りては簾を以て室内の光線を計るのである。
(中略)
冩眞場ならばイザ知らず、茶室に光線術を應用する必要はない、薄暗きを以て侘びとは何事である。
侘びは決してそんなものではない。有ば有る様、無ければ無き様、自然に任すのが即ち侘びである。
有るものを無きが如く、無きものを有るが如く粧ふは決して佗びではない。

厳しい態度だよなぁ。俺は好きだけど。