茶道要鑑9 茶の湯の濫觴

偖て點茶の始めは誰であるかといふに
(中略)
また珠光は能阿彌、相阿彌の外、宗陳、宗悟に傳へ夫より瑞穂、紹鴎に至り、茶道は全く大成し、此兩人相圖りて臺子眞行草四十八段の法を頒ち、膳部を眞行草三式九段に區別したのである。
此の瑞穂こそ當流の祖先であつて、疇昔菴に住し、瑞穂齋と號し姓を玉置、名は一咄と稱し

瑞穂流の祖先は珠光の流れを組み、紹鴎のバディとして茶の湯の法を作った人だったんだよ!
な、なんだってー(AA略)

不肖一成は其十五代の孫にして厳父は維新前まで和歌山侯に仕へたのである。
(中略)
加之(かのみならず)家元といふ名のみであつて教授といふ事はせず、一家の秘密として代々傳はつて來たのであるから、従つて當流のある事も自然埋れて居つたやうな次第であるが

紀州徳川家の茶堂は表千家
この文章だと玉置家は紀州徳川家の茶堂ではなかったっぽい。

藩士として仕えたが、その裏で勝手に珠光の流れを維持していた家、という事だろうか?
この記述が真実なら、だが。

さすがに紹鴎のあたりはインチキ臭いね。