茶道要鑑13 釜敷

五代の瑞穂一眞が、或る時お茶事をしたのは宜いが、お炭を仕る段になり、什麼した工合か、羽箒と釜敷を持ち出ることを忘れたサア大變だお客は眼前に居るし、水遣へ取りに入れば、忘れたことが判つて後で笑はれるのも悔しいと、偖て茲で頓智が必要だ、其時一眞は何喰ぬ顔で澄し込み羽箒の必要に際し、懐中より紙を取出し、一枚を竪に四ツ折にして、先づ能く揉んで羽箒の形状を拵へ、夫を羽箒の化りに用ひ、殘る紙を釜敷として、其場を誤魔化したが、お客はそんなことに氣が着かず、其儘歸去た、
然るに其後羽箒の方は左程にも無つたが、紙を釜敷に用ゐるのが面白いとて、無暗に流行出し、濃茶に際などは白紙は清浄で宜いと、勝手な道理を附けて、現に今でも懐中紙を釜敷に使ふ人がある、

炭手前の時に忘れ物をした五代の機転が紙釜敷のはじまりだと瑞穂流は言う。だから、ありがたがる人ってそれどうよ?と言いたいらしい。


でもなぁ。

江戸初期の、例え御三家の御膝元とはいえ、和歌山で細々やってた流派の一回ぐらいの創意工夫が全国にひろがったりしないと思うけど…。

あと、炭斗に羽箒も釜敷も入れなかったらめっさ目立つと思うけどな〜。