宗旦聞書5 茶を弄ぶ事4

一、茶の湯の未熟の内は心をすまし茶の湯の仕様を工夫すべし
爰に心入らず唯料理掃除のみ精を出す故根本の茶の湯出来べき様なし
若し茶の湯合点をして余力あらば手前をもたしなみ掃除をもせよとなり

ビギナーは心を入れて茶の湯全体を工夫する方がいいよ。
心を入れないで料理や掃除ばっかやっているから茶の湯が出来ないんだ。
もし茶の湯自体にに納得がいって、余裕ができたら手前を工夫したり、掃除をしたりするといいよ。

…。

ここでいう「茶の湯の仕様」とはなんだろうか?

「料理」「手前のたしなみ」や「掃除」は「茶の湯の合点」に含まれない。

そういう瑣末な事ではない、とすれば、

  1. 趣向
  2. 流れとかもっと全体的なマネジメント

あたりを指すのだろうか?
いまいち判然としない。

掃除は余力でいい、という思想はちょっと珍しいかも。

何は無くともせめて掃除だけは、というのが昨今の茶の湯の教えではなかろうか?