宗旦聞書7 茶を弄ぶ事6
一、今時の世上に茶の湯秘事などいふ事を聞に古の茶の湯者其朝夕取扱たる事とも也
夫は当座むかふ所の程に依てしたる事どもなり
今の人其理はしらずして珍らしき事などゝ思ひ時ならぬにする事故耳を取りて鼻をかむることしと也
今時は茶の湯に秘事があるなどというけれど、そんなの昔の茶の湯者が普通にしていたことで、その場その場で臨機応変にした事だと思う。
現在ではその事情が判らないから珍しいと思い、耳を鼻につける様な頓珍漢なことになっているのだ
…。
割と偏屈系の著者による茶書で「××の時○○するのはそもそも△△がたまたましたのが流行っただけだ」みたいな事が書いてある。
ここの内容も一緒だ。
ただ、宗旦が口述した、という設定であれば、利休の孫で時代も江戸初期の話としては「今時」から見る古が遠過ぎる気がする。というか具体性を欠き過ぎている。
「利休はこんな事をしたら流行った」みたいなのが私の読みたいトコなんだけどね。
又聞きの茶話指月集よりも具体性が低いってのはどうなのよ?