淡々随筆5 手水の話

「席入りの時に、折角洗つた手で、草履を直すのは、何んだか矛盾してゐる樣に思はれますが」とこんな質問を初心の方からよくされます。
成る程考へ樣によりましては大きな矛盾です。しかし手水は唯手を洗ひ清めるだけのためではありません。
(中略)
茶の湯のお稽古は、お點前や、器物の扱ひなどを上手にするためでも御座いますが、同時にその人の心をも、掃除するのでなければなりません。
(中略)
何時も申す事でありますが、茶の道をお修めになる方はどうかお手前のお稽古にお励みになると一緒に、心の修養をも忘れぬ様にしてゐたゞきたいと思ひます。

井口海仙も同じことを言っている。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20120315

というか井口海仙がゴーストライターだったんじゃねーかなー。

ま、それはともかく。


…よく考えてみたら「手水を使った後に草履を触るのはばっちい」という事を全然否定できていないんだな。

と言うことは、「心の修養」というのは、ばっちくなった手でお茶を飲んでも平気な大きな心を持て、という事?


ま、日本文化の伝統芸「という約束」が発動すれば、本当は綺麗なのか汚いのかは関係なくなると言うお話なんだろうな。