實用茶道讀本7 有楽と織部

茶史で適当過ぎる二名の記述を。

織田有楽齋は織田信長の七男でありまして利休門での長者でありました。

有楽斎こと織田源五郎長益は信長の弟である。信長の七男はスケートの人が先祖と称している織田信高。全然別人である。
しかも利休門ではなかろう。

古田織部は初め乗山佐助と呼び江州で一萬石を領してをりましたが、天正年間の戦功により伊勢の松坂で五萬石を領し従五位下織部正に進み印齋と號しました。

松坂の古田重勝との混乱はまぁ有りがちなので仕方ない。

しかし乗山ってのはどこから出てきたのだろう?あと近江で一万石ってのはどういう根拠なのだろう?古田重勝の近江日野時代だろうか?


しかしなんですね。誰が誰の何男で、いつどこを領有した、なんて話が、昔の方が適当というのは不思議な気がします。家と言う概念がもっと強固だった筈じゃないのかなー。