茶道と香道

水原翠香/博文館/1912年(初版明治41年)。

明治末〜大正頃の家庭百科全書第5編…つまり女性向けの一般書。


当時の茶の湯理解が判って面白い。

其頃南都星明寺の珠光といへる僧あり

昔は漢字の当て方は結構適当だった。でも称名寺を星明寺と書かれると厨二心がふつふつ沸くじゃないか。

「スターライト珠光」。

…みたいな。覚醒するとムーンライト珠光になるんじゃろうか。

オータムナルダスク紹鴎」とか「利休 祖佛共殺(バーサーカーモード)」とか。

…心底どうでもいいね。うん。

常に其庵室に茶事を為て風流を極むるとの風聞高かりければ銀閣に召て其道を尋問せれるゝに甚く心にかなひしかば重く登用して茶禮を執しむ是より専ら貴人上流の翫弄する處となりて諸家皆之に倣ひて國々に流布し殊に駿河の今川周防の大内等に盛んに行はる

そう、将軍→堺の商人って変なルートだよね。将軍→今川大内などの大大名ルートの方が歴史的合理性はある。もちろん、茶の湯の開始を東山に求めるから出た無理だけれど。

當時の将軍たる義政を首として諸候貴族の勢ひを以之を翫ふからに其茶具とかく珍奇名品を集るに大金を惜まざるを誇るに傾き平民の企及ぶべくも非ず
成果たりしを泉州左海の出にて武野紹鴎といへる人珠光の弟子なる宗陳宗悟より傳へて茶の奥旨を悟り大いに此末弊を歎きて草庵侘といふ事を稱へ出し自ら種々の茶器を作意し金銀珠玉の奢品を省きて只意匠の雅趣を尊めり

そこで金持ちの茶の湯を改めたのが紹鴎。おお、ルートの違いを吸収して逆にいい線行ってるじゃないか。

紙に糊して厚く種々の形にはりて上に漆を塗固めたる物之を一閑張と稱す是一閑は紹鴎が別號也

ダウトー!

しかし昔の人って、いろいろ不確実な情報からより集めて作った茶史だろうに、めっちゃ堂々と開陳してるよなぁ。

この自信がどこからくるのか不思議不思議。