茶道と香道2 三千家の歴史1

江戸時代の千家に関して。

三千家とは皆利休の血統にして代々京都小川通寺之内下町に住居し表裏相並べり武者小路は住居するは末家にて三家同姓なれど單に千家と稱するは表に限り他は裏千家武者小路といふ
いづれも諸候より録を賜はり世襲して頗る饒なり

江戸時代の千家は祿を世襲して豊かだった。

中就表は惣本家たるを以家元の威権をふるふ事甚しく殆大名に比しき生活を為し
門人の稽古も直接には為ず釜座二條上る町に稽古所在りて堀内氏之を司る表の門人
たる物は皆此所にて修業する定也
大坂にては住山氏稽古所の預り也

大名並の生活をし、教授も堀内宗完や住山楊甫に任せていた。
…そういえば不昧公の同時代証言もそんな感じだった。

かゝる威勢なるを以茶事をなすもの茶通箱以上の免許を取りたる者ならでは家元の客たる資格なき者として許さず故に千家の直弟たり又其茶事に預る者は茶人としての榮譽無上の事と感じて人にも誇りたるものなりしが

家元茶事は茶通箱の免許を条件にし千家の直弟子にした為、そこに呼ばれる茶人は無上の栄誉と考えていた。が…


しかし明治の末期に振り返った千家の奢った姿がなかなかすさまじいですな。これで「侘び」とか言ってたら引いちゃうぜ。

著者は表千家を学んだ人なのだが、微温な女性向け叢書にこんなミもフタもない書き方して大丈夫だったんだろうか?

「が」以降の明治の千家は明日。