茶道と香道3 三千家の歴史2

んで明治以降の千家。

維新の大變革に萬事廢せられてかゝる事ども一才昔の夢と覺めては又當年の面影もなく次第に究して為方なき儘に座敷數寄屋を人に貸して家族は臺處と便室に蟄居し主人は地方の豪家を渡りて出稼し先代の未亡人は土手町の女學校に出て食禮教師と號し僅斗の月給に有附

祿をもらえなくなり、茶道も流行らなくなった千家は大名のようであった昔の面影もなく、家を貸し、家族は台所と便所に住み、家元は出稼ぎに行き、先代未亡人は先生になった。


ここでいう土手町の女学校とは土手町通にあった女紅場(現 鴨沂高校)だろうから、先代未亡人とは裏千家の千猶鹿子の事だろう。だからおそらくこの困窮は裏千家の話だと思う。

維新後の表千家がここまで困窮した、という話は聞いたことがないし。

兎や角やにて今日を過す程にさしも風流雅を極めたる座敷茶室も心なき借屋人の為に壁襖は勿論滑る迄に拭込まれたる板間椽迄疵だらけ障子は骨を折り庭は踏荒され植込の樹木は猥に枝を伐捨て竿を架し洗濯物を干等みるも哀なる光景なりしが其後又茶道再發して世間専ら流行すれば三千家共自然と逆境の苦を免れて家運漸く挽回し昔の榮華には及ばずと雖又今日に差し支えなく相續するに及びたりといふ

座敷は荒され、庭は物干しにされた。しかし茶道が復興して、大名って程でもないけどなんとかなった。


時代の近い方の証言はナマナマしくも厳しいですな。

しかしなんですね。私が子供の頃の長者番付に裏千家がガンガン出ていた事を考えると、戦後の裏千家は大名どころではないですな。江戸時代を超えているかもしんない。