茶道と香道12 江戸千家

東京に有りて上方には聞こえず東京にては茶の師匠する程の者其流を問へば皆千家々々と答ふれど然らば三千家の孰れぞと追究すれば十中八九迄曖昧也
思ふに不白の末派多きが如し是等を惣じて江戸千家といへり

京都では聞かない名だが(京の道場で修業していないというのに?ぐらいの意味か?)東京では茶の先生をする様な人の流派を聞くと、みんな千家と答える。でもどの千家か判らない。

そういうのって、不白流から分派した奴らで、まるっと江戸千家って奴だと思う。


…。

なんか不白流に気の毒な表現。雑多胡乱な者として扱おうとしている気がする。当時の東京の表千家の茶人にとって、江戸千家って微妙な存在だったんだろうか?。

それとも江戸時代の小笠原流町道場の様に、猫も杓子も勝手に不白流を名乗って良い状況だったのだろうか?

そういえば今でも江戸千家って分派多いもんな。
それを許す土壌が江戸千家にはあるのかもしれない。