茶道表千家 薄茶かがみ 爐の巻2 嗚呼千利休

千利休に関する伝記。
大筋は

五百年のその昔、村田珠光一休禪師に參禪して始めて茶の湯を興し、足利八代将軍義政の聲を以つて、大に社會に紹介せられましてより、時は去り年は來り、星霜幾十年の時代は去つて、世は織田信長公となり、
(中略)
併しながら斯道は此の時代に至りて漸く俗化し、奢美陋俗に流れ、風雅の道も為に荒廢し去らんむと致しました。
斯道の危機實に一髪の間に懸る時に、風雅の神は未だ斯道を捨てずありました。
泉洲は沙界の今市、納屋の魚戸に朝霧深く戸ざしたる草の庵より、風雅の神は田中輿四郎を召し出し、そして大なるマナをば輿四郎が身に下したのであります。

珠光が創案した頃はよかったけど、途中で華美に走ってしまって廃れんとする所に利休が出てきた…という世界観はちょっと面白い。

最初に出来たものが最高!というのは儒教的ですらある。

しかし、みんなが少しづつ良いものを作り上げていこうとしていた…っていう考え方はなかったんだろうか?